今日は稼働休みでなにも無しというとこで

前回の続きを。



当時の私は別にプロになろうとかは

一切思ってもいなかった。

まるで挑発するかのような憎いパネルの

デザインと、それ相応の技術介入性と

スペックの辛さ。

そして青テン狙いができない仕様の

ひねくれっぷり。

ただ初代に比べ操作性もアップしたし

ビッグ中の音楽のカッコ良さは一流。

一瞬で憑りつかれてしまったのである。


そうその機種とは・・・?



■199×年某月

雨の中、昼過ぎにホールに到着すると

店内はそこまで人がいない。

3割くらいの客付きだったか・・・

いつものようにバーサスに着席。
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©ユニバーサル
※アルゼのA400マシン。
サンダーに継ぐチャンス予告を搭載した台で
ハナビと同配列。


なけなしの一万円しか持っていなかった私は

神に祈る思いで打っていた。


するとあっさり1000円でビッグボーナス!

しかも4判別をしたらあっさり合格。

これで、遊びながら勝てるなと思って

閉店まで粘り2000枚ほど獲得。


コインを流していたら、ある機種でハズシを

バシバシ決めて上手い感じで打っていた

兄ちゃんが目に止まる。

今だと大したことはないのだが

当時はすごいと思っていた。

設定6でも適当打ちだと出玉率が

100%を切るという、当時の

ユニバーサルからしてみれば

かなり辛い部類に入る台。


その機種とは「クランキーコンテスト」。
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※クランキーコンドルの正統後継機で
今の5号機クランキーコレクションの前身機種。
ハズシは要ビタ押し。

その時も難しい台なのは知っていて

敬遠していたのだが、ビッグ中の音楽や

パネルのかっこよさは好きだったのだ。

コンドルやタコスロはたまに打っていたので

上手い兄ちゃんにも触発されてか

翌日から打ってみようと心に決めた。


・・・実は、その兄ちゃんの彼女らしき女が

打ち終わるのを待ってたのだが

なんとも綺麗なモデル体型で

それが何故かもの凄く印象に残っていた。

転落人生を決めた女ってこのことかよ・・・


まあとにかく、コンテストのリプレイハズシを

華麗に決める自分を想像しながら

その日は帰路についたというわけである。

※パチスロ名機物語3へ続く。